Earnest Tennis Academyのブログ

大分県のジュニア選手対象のテニスアカデミー!

楽しんでやるって??

よく「楽しんでやらないと」と言うが、楽しむとはどういう事だろう?
基本的に人間は「楽しむ=楽をする」と考えがち。それも悪くはないと思うが、「好きな事をする為に必要な、苦しい努力をしっかりやる充実感」を楽しめないだろうか?

これを間違えてとらえてる人は多いのでは?

上達にはある程度は時間と努力が必要。その過程でかなりのストレスを感じる練習もある。
それを充実感と感じて行えるか?
苦しさの中に楽しさを見出せるか?

ストレスのある練習をそうやって自主的に取り組むには、そう言った気持ちが必要だし、そうすると練習の中で自分で工夫を始める。

その繰り返しの中で、危機的状況からどう打開するか?と言う処理能力が上がるのではないか?
同じ練習を「しんどいから」と言ってサボる方の楽しさを選ぶと、実際の試合での状況に弱くなると思う。
同じ技術を持っているのであれば、やはり結果は変わってくる。  

結果を変えたのは過程。

最初は他動的にやらされる事もある。しかし、必要性を試合の中でキチンと感じて自主的に取り組んだ時との上達の差は、実際の現場を見ても明らかに違う。
選手達が自分で工夫をしだすからだ。
コーチが教えた事よりも、自分が発見した事の方が、技術の定置は速いし忘れない。

あるギタリストの話だが、インタビューでは「練習しない。ギターで遊んでるだけ。」と答えている。しかし、その遊びは非常に苦しいエクササイズだったりする。
その苦しさを楽しんでいるから、本人にとっては「遊び」なのだろう。

苦しさを楽しまないと、その中での発想も限定される。

発想が限定されると、配球のアイデアが少なくなる。相手の観察も出来なくなる。自主的に取り組み苦しさを楽しむ事は、試合に結果に大きな影響を及ぼす。

練習をこなすエネルギーも全く違ってくるので、長い練習も集中力をもって取り組める。
やらされてる選手との差は開いていく。

問題はコレに選手自身が気づける事。
苦しさを楽しむ為には、その競技をどれだけ好きか?試合に勝って充実感を得るのがどれだけ好きか?

伸び悩む子に限って、試合で負けても泣かなくなる。自身の限界を自身で決めて、成長を止める。
勝ち負けに対して、競技に対して、さめていく。

競技に対してそう言う付き合い方をする選手に育てると、コーチは指導者ではなく相談者になっていく。

指導者側もその見極めは重要。
いつまでも指導者然として上から話をしたら、選手の自身での成長を止める。
ある程度の成長の後は、相談者となり選手に判断を委ねる。

その判断の結果として、悪い状況になったとしても責めない。
責めるのではなく、自身が選んだ判断の責任を取らせる。
選ぶと言う権利には、その結果の責任を自身が取ると言う義務がある事を理解させる。
道具や指導者や環境などの他の因子を理由にする選手は、責任をとっていない。

試合中のどのコースを選んだのか?と言う判断にも関係してくる。
責任を自身で受け取れる選手は、選んだコースに対しても納得して受け入れて次を考える。
責任が取れない選手は、その後の何ポイントも引きずる事が多い。
重要な競る試合ほど、こう言った事が重要になってくる。

自身で責任が取れる選手は、周りのサポートもしっかり感じる事ができる。
優勝する選手のスピーチは(言わされている場合もあるが)いつも感謝の気持ちを表す。

試合前の集中力も、自分のテニスに関わる人や物への感謝の気持ちを感じる事であがっていく。